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about daily life , just about photograph. 日常のこと。つまり写真のこと。


2016.01.26

neat

清里フォトアートミュージアム(KMoPA)のヤング・ポートフォリオというコンペに応募したのは、

札幌の広告写真家の専属アシスタントを始めて暫くした後のこと。

買ったばかりのカメラを持って一週間程、モンゴルへ旅をした時の写真を、

覚え立ての暗室作業で、バライタに焼いて5点応募した。

2点が永久保存作品としてKMoPAに購入されることとなり、

そのレセプションに参加する為に上京することを決めた時、

初めて東京に写真家の親戚がいることを知った。

アシスタントの求人広告を見る迄、写真を仕事にしようとは全く思っていなかった僕は、

恐らくそれ以前にそういう身内がいると何度か聞かされたことはあったのかも知れないのだけれど、

関心が無かったからか、頭に残らず流れ出てしまっていたのか、全然認識していなかった。


レセプションへの上京前、僕にとって従伯父にあたる畑野進さんの写真集を初めて見せてもらった。

1959年刊行の「登山者ー畑野進作品集」と1966年刊行の「山よお前は」という2冊。

日本山岳写真協会の理事長をしているという進さんが山岳写真家として活動していた若い頃、

当時の作品をまとめ、刊行した本で、

写真や文章は勿論、使用した機材についても書かれていて、とても興味深かった。

susumu_photobook_blog.jpg

上京し、KMoPAでのレセプションを終え、いよいよ夜の便で帰るという日の朝、

泊まらせてもらっていた阿佐ヶ谷の友人宅から、進さんに思い切って電話をしてみた。

進さんも僕の母のことと、その母に子どもがいることは知ってはいただろうけれど、恐らくはその程度。

僕の名前はおろか、幾つくらいで何をやっているのかも知らなかったので、自己紹介からせねばならず

正直、最初の電話で、先ずどう挨拶しようかと、受話器片手にとても緊張したことを覚えている。

そんな僕の緊張をよそに、受話器の向こうの聲はとても勢いのあるもので、

「ともかく時間があるなら会いましょう、今から遊びに来てくださいよ」

と、ご自宅の最寄駅を教えてもらった。

「待合せで目立つよう、真っ赤なジーンズを履いて改札前に立っているから」

僕は急いで荷物をまとめると友人宅を後にして、その駅へと向かった。


駅へ着くと改札前に立つ進さんは本当に目立っていて、直に見つけることが出来た。

高齢ではあったけれど、脚長で背がとても高く、真っ赤なスキニーがよく似合っていた。


駅から10分も歩かずに着いたマンションの上層階にあるコンパクトな一室が進さんの部屋だった。

玄関を入って右手のダイニングキッチンスペースには大きな引き伸ばし機が一台置いてあり、

反対側のリビングスペースには本が詰まった大きな書棚。

しかし肝心なカメラや撮影機材らしきものは一台も無かった。

そんな僕の目線を察してか

「カメラは今は一台も無いんだよ。もうね、この人生で充分撮りきったからね。」

撮り切ったとはどういうことだろうと、その時の僕には今一つピンとこなかった。


GHQの写真室で働いていた頃の話から、山岳写真の話、そして登山の話。

1955年創刊のモーターマガジンでは、著名人とその愛車のコーナーの写真を担当していたと云う話。

晩年、中国へ渡り、博物館の所蔵品で、国外へ持ち出し禁止の美術品の図録を制作する為に

8×10のカメラで撮影していた時の話などは、当時の撮影風景を記録した写真も併せて丁寧に

大きな聲で豪快に且つ軽快な口調で色々と話してくれた。


一息ついたところで、僕の写真が掲載された清里フォトアートミュージアムの図録を見せると

いい写真はね、片目で見るといいんだよ、被写体と空間とが立体的に見えてくるからね、と

片目を瞑って僕の写真を眺めながら、あぁ、これは良い写真だと、にこにこしながら眺めていた。

両方の眼で見ているものを、一眼で撮るだろう、

だから写真を見る時に、片目を瞑ってその一眼と同じにしてあげるといいんだよと。

正直その原理は今でもわかるようなわからないような感じなのだけれど、

実際、片目だと立体的に見えるので、以来僕も、自分の写真をチェックする時、

そんな風に見る癖がついてしまった。


いつの間にかあっという間に時間は過ぎてそろそろ帰る段になった頃、

今日の記念に進さんのポートレートを撮らせてくれませんかとお願いし、

当時使っていた二眼レフ、 AIRESのAUTOMATを鞄から取り出した。

ISO400のフィルムで絞りはf4、シャッターは1/60秒。

しっかりピントを合わせてシャッターを2回きった。

そしていつかまた会いに伺いますと挨拶をして、僕は羽田へと向うことにした。

susumu_portrait_blog.jpg

別れ際の進さんの表情が、それまで過ごしていた時間に見た其れとはちょっと違っていて、

果たして僕はまたこの人に会うことが出来るのだろうかと、何故だかその時ふと思った。


後にその写真をプリントして先日の御礼の手紙と併せて送ると、

数日後、いい写真をありがとうと豪快な筆跡で書かれたモノクロの山の写真の葉書が一枚届いた。

それから1、2年後に僕は写真の仕事で下北沢へ引っ越してきたのだけれど、

会おうと思えば直にでも会いに行けるとても近い距離にいたにも関わらず、

日々の雑多な色々に追われ、

もう少し結果を出してから、と思っている間に他界されてしまい、

二度と会うことが叶わなくなってしまったことは、

自身が未熟だったとは謂え、悔やんでも悔やみ切れない。


逢える人は逢えるうちに。

先延ばしにすることなく、早いうちに逢えるだけ逢っておくこと。

そして先に居なくなるのは、例えば相手が先とは限らない。

決して悲観的な意味ではなくて、何が起こるかわからないのが、人生なのだから。

未熟な今に根差した氣持ちを柱に事を考えるのではなく、先ずは動くこと。

正しい行動の後には、ちゃんと氣持ちはついてくるのだ。

進さんのことを想い出すと、いつもそんなことを思い、そして考える。


反面、あの時に思い切って会いに行き、

一枚でもこうして写真を残せたこと、それはそれで大きいのだとも思う。

進さんに教えて貰ったように片目を瞑って写真に目線を合わせると、

ふとあの時の時間と空間がよみがえる。

多分、そういったことも写真の良さであり、力なのだと思う。


出来なかったことを思うのか、出来たことを思うのか、

どちらをどう捉えるかにも依るのだろうけれど、

撮ったものがこうして一枚でも此処に在る、と謂うこと、少なくとも其れは大事なことなのだと思う。


ま、この程度のことで色々考えてしまっているようでは、

この人生ではもう撮り切ったから、カメラに未練は無い、という進さんの域に達するのに、

まだまだ時間がかかりそうだ。
posted by GO at 00:00 | Photograph

2016.01.23

once

パトリシア・フィールドに会ったのは確か7、8年前のこと。

映画「プラダを着た悪魔」や「セックス・アンド・ザ・シティ」の衣装、

そしてヴィダルサスーンでの安室奈美恵さんとのキャンペーンのPV等、

その仕事を幾つも観ていた僕は、

まさかパトリシア本人を撮る機会が訪れるとは思ってもいなかった。


取材当日、僕らの時間はちょうどお昼頃。

持ち時間はインタビューを含めて15分。

記事と併せて掲載するポートレートの撮影時間は実質1、2分程度。

朝から既に10本近い取材を受けて、やや疲れ氣味とのことで、

ささっと撮って別室ではインタビューのみの収録という話だった。


現場は何とも言えない緊張感と静けさで、とても重い空氣が充満していた。

前の組の取材が終えて撤収作業をしている中、真っ赤な髪のパトリシアが現れた。

まず僕のクライアントとインタビュアーが先方のスタッフの紹介でパトリシアに挨拶をした。

同行のフォトグラファーが挨拶する時間等、本来は無かったのだろうけれど、

単純にパトリシアの仕事のファンでもあった僕は、図々しいと思いつつも、

それらの映画やキャンペーンでの仕事にとても感動し、沢山の刺激を受けていること、

そしてその貴女をフォトグラファーとして、今日、こうして撮影出来ることがどれ程光栄なことか、

拙い英語で一氣に話し、自分の名刺を手渡した。


僕の名刺を手に、僕が着ていたルイスレザーのブルーのサイクロンを眺めながら

「あなたの名前はGOって言うの?いいブルーのレザージャケット着てるわね。」

「さぁ、GOはどんな風な写真が撮りたいの?」と、柔らかく優しい表情で聞いてきた。

待機時間に撮ったテストショットを一眼レフの液晶で見せて、こんな感じでと伝えると、

「じゃ、此処でいい?」と、一言。

そしてラックに掛かった服を「わたしの好みに並べ換えてもいい?」

もちろんと答え、構図を考えながらカメラを構えていると、

「GO、こんな感じでどう?」とこちらを見た。

そして僕は直ぐに一度だけシャッターを押した。

その一度のシャッターで、もう今日はこれで充分、そう思えた。

PatriciaField003_blog.jpg

現場のスタッフに「あなた、一体彼女に何を言ったの?こんな笑顔、今日初めてよ」と言われたけれど、

特別なことは何一つ。

ただ心からの敬意と、今、こうして撮れる喜びを伝えただけ。


「もういいの?まだ好きなだけ撮っていいわよ」と、

少し寒かったのに、会場の外でも数カット撮らせてくれた。


撮影後のインタビュー中も、好きなだけ撮っていいわよと言われ、

こんな機会もう無いかも知れないと、何度もシャッターを切った。

終始ご機嫌で、途中から煙草を吹かし始め、

撮影と併せ当初15分という枠を越え、30分程パトリシアの話は続いた。

PatriciaField013_blog.jpg

インタビューが終わり、帰ろうとすると、ここでも撮る?とソファに座ってポーズを決め、

笑顔を向けてくれた。


先日とある場所での会話の中、この時のことをふと想い出し、

改めて久し振りにそのインタビューが掲載されたサイトを探してみたのだけれど、

そこは残念ながら既に閉鎖されてしまっていた。

でもせめて写真だけでもと、保存している写真を探して全て見返してみた。

撮影した当日のこと、この撮影の依頼の電話があった時のこと、

そして、その時に感じた感情まで、全てとても鮮明に想い出した。


当たり前のことだけれど、

この新鮮な一瞬一瞬の時の流れ、全てが一期一会。

全てがいつも初めてで、

それが写真になる。

技術があることが勿論前提なのだけれど、

写真とは全て関係性なのだと、こういうことがある度、

想い出す度、いつも改めて実感させられる。


そしてやっぱり写真はいいなぁと、心から思う。
posted by GO at 00:00 | Photograph

2015.12.17

inside

写真を始めた当時、

僕はいつもモータードライブ付のNew FM2にNEOPAN PRESTO1600を詰めて撮っていた。

広告写真家の専属アシスタントを始め、それが3年目に入った春、

ハービー・山口さんの「代官山17番地」という写真集に出逢った。

それは全てRolleiflexという中判カメラで撮影された作品で構成されていた。

アシスタント当時の僕にとっての中判と謂うと、

スタジオにあったハッセルとかアサペンというのが定番だった。

ハービーさんのRolleiで撮影された正方形の中は、僕が知ってるそれらとは違い、

なんとも柔らかい空気を纏った光に満ち満ちている感じがして、

初めてそれを見た自分の頬が、思わずほっとした笑顔で緩んだような、

そんな優しい感覚になったことをうっすら覚えている。

そして、その時、初めて聴いた「Rollei」という名前の響きも、

口にするにも、耳にするにも、まるで愛しい人の名前のようで、何だか心地好く感じられた。

ノートリミングの写真の縁にたまに見える「ILFORD」というフィルムの文字も、

それまで「Fuji」と「Kodak」しか使ったことのなかった僕には、

見た目も含めて、ちょっと格好良い響きに思えた。


アシスタントの僕にとって、当時Rolleiは気軽に手を出せる値段では無かったが

いつも機材購入でお世話になっていたカメラ屋の中古セールが開催された時、

ひやかしがてら立ち寄った僕の眼に、ちょっと魅力的な値段の国産の二眼レフカメラが写った。

AIRES Automatというロゴが入っていて、レンズはNikkor Q 1:3.5 f=75mm。

ちょっとだけ値引きをしてもらい、ILFORDのフィルムを数本買ってカメラに詰め、街へと繰り出した。

いつもの一眼レフなら、フィルム1本で37、8枚は撮れるところ、

120のブローニー1本だと12枚しか撮れない。

そうなると何だか少し緊張してしまい、最初のシャッターが押せないままぶらぶらしていた。

ふと通りかかったビルの入り口に、ハービーさんの写真展開催中というポスターを偶然見つけ、

そのままその会場へと足を踏み入れた。

するとそこにはまさかのハービー・山口さんご本人の姿が在った。

福山雅治さんを被写体とした写真のみで構成された写真展だったこともあり、

会場内は沢山の女の子たちで大賑わいで。

ちょっと場違いかな…と一瞬思ったけれど、

いやいやこれは何かの縁だと、思い切ってお声掛けをさせて頂いた。


写真集「代官山17番地」がとても好きだということ。

その正方形のフォーマットに憧れて、自分もこの二眼レフを買ったこと。

フィルムもILFORDにしてみたこと。

そしてもし良かったら、失礼で無ければ、ここでハービーさんを撮らせて頂けますかと。

穏やかに興奮しながら一氣に話すと、にっこり笑って

「詰めてるの400?ここの光でシャッターどのくらいになるかな?」

「(絞り)解放で・・・30分の1くらいだと思います」

「お、そうだね、大丈夫かな?じゃ、何処で撮ろうか?ここら辺でもいいかな?」

そう言って、ハービーさんはご自身の肩から提げていたLeicaを構えてポーズをとってくれた。

初対面でいきなり撮らせてくださいと言っておきながら、いざそうなると緊張するもので。

おまけにそれまで写真展に夢中になっていた女の子たちにも何故か注目されてしまい、

その緊張も最高潮。

お待たせしてはいけないと慌ててピントを合わせ、必死に手ぶれを抑え、2回シャッターをきった。


翌日は撮影が無かったので、早速スタジオの暗室に籠らせてもらい

フィルムを現像して、プリントを仕上げた。

腕もまだまだ未熟だった上に、そんなこんなの極度の緊張で、

ピントがハービーさんではなく、後ピン…つまり後ろのポスターにきてしまっていたのだけれど、

今となっては自身の写真にとって、とても佳い想い出となっている。

herbie_yamaguchi.jpg

それから数年が経ち、僕は写真を始めて10年目の節目となる写真展を東麻布で開催した。

最終日の前日、所用で立ち寄った渋谷のPARCOの地下で、

山崎まさよしさんを撮影した写真で構成されたハービーさんの写真展が、これまた偶然開催されていた。

流石にそこでハービーさんとの再会だなんて謂う上手いことは起こらなかったけれど、

会場にあった感想ノートに、開催中の自分の写真展のDMを挟み込み、

あの時、撮らせて頂いたことへの御礼と、

この嬉しい偶然への想いをさらっと書き残し、会場を後にした。


その翌日、自身の写真展最終日。

もしかして来てくれたら…何て淡い期待を抱きつつ、

あの時、撮影したハービーさんの写真を、六切りのバライタ印画紙に焼いて会場に持参した。

クロージングイベントも企画していたので、早めに会場入りし、その準備をしていると、

入り口前に一台のバイクが止まった。

バイクに乗ってくるような知り合いなんていたかなと考えながら眺めていたら、

ヘルメットを外したその人は、まさかのハービー・山口さんだった。

持参していたその写真を持って挨拶し、写真をお渡しすると、

「わぁ、バライタで焼いてくれたんだね。嬉しいなぁ。そして若いなぁ、僕…何年前かな?」

なんてにこにこしながら、少し話しをした。


それから更に10年ほどが過ぎて、今の僕のデスクの横には、

少しくたびれたRolleiflexが静かにぶら下がっている。

デジタル全盛の今だからこそ、相手としっかり向き合って、呼吸を合わせるように撮る

焦らず急かさず穏やかに優しく向き合う。

そんなことをもっと努めて意識して大切にしなければいけないのかも知れない。



何はともあれ、先ずは相手と会って話すところから、初めて全てが始まる。

相手の眼をしっかりと見つめて話すこと。

今と謂う時代は、会わなくても、そして電話で話さなくても、

液晶画面上の言葉だけで簡単に遣り取りは出来るけれど、

事務的なことならそれで済ませてしまっても充分な時もあるのかも知れない。

けれど、自分にとって本当の事は、相手の眼を直に見て話さないと見えてこない。

相手にも。

そして自分にも。

もっと謂うなら、相手の眼を見て話せないことは、自分にとっての本当では無いのだと思う。

変えるべき、そして氣付くべき何かに黙って蓋をして遣り過ごそうとしているだけなのだと。

時として、相手の眼を介して自分が見る自分自身の姿を見たく無いこともあるかも知れない。

無意識に避けてしまっていることに氣付くかも知れない。

けれども、本当と謂うものは、そんなところにこそ潜んでいるものだから。

そして、そこと向き合ってこそ、本当の一歩が踏み出せるのだと。


色々と未熟だった、けれども熱だけは帯びていた自分がプリントした昔の写真と向き合いながら、

当時のまだまだ至らない自分のことをふと想い出した。
posted by GO at 00:00 | Photograph