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about daily life , just about photograph. 日常のこと。つまり写真のこと。


2015.12.31

fever

積み重ねると謂うこととか、

雪解けとか。

凛とした冬の白く冷たい空氣の中で感じ見え想い考えること。

もう少しで今年が終わる。

新しい年が始まる。

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2015.12.10

decision

自分史上最悪の不調のまま始まった今年だったこともあり

例年よりも師走感満載で12月へ突入。

あっという間に10日を迎えてしまった。

招いた多忙とは言え、一つ幸いなことは、好調でこの師走に入れたこと。

もうここまで来たら、焦らず、慌てず、こつこつと。

何処かで開き直りつつも、ともかく取りこぼしの無いよう、一つ一つ丁寧に。

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ところで、今年写真展を開催出来たことが、

今頃になってようやく確固たる自信を伴った実感として湧いてきていて。

決して望んだ訳では無かった長いトンネルを、

諦めずゆっくりとでも歩き続けた時間が良かったのだと。

展示していた作品を整理しつつ、ふと。


どんな状況であっても、自身の中の明鏡を磨き続けること。

怠ること無くひたすらに。

闇の中に身を置けたからこそ見える光というものを感じられるようになったことは

写真を今後も続けて往く上で、自身の心の財になるのだと。

とは言え、あんな回り道は正直もう勘弁ではあるけれど。


ともあれ、作品を作る、と謂うことは、自身と真摯に向き合うこと以外に無くて。

譬え自分がどういう状況・状態であったとしても。

そして揺らぐこと、これは決して悪いことでは無い。

自身の中心を、しっかりと保ってさえいれば、

難だとさえ思えることですら、転じてプラスになる。

それを実証として得られたことは、有難いことなのだな、きっと。


写真であれ、絵画であれ、ダンスであれ、歌であれ、

結局それを作り出すのは自分の日常の延長でしかなくて。

例えば普段、何を考え、何を思い、何を信じ、何処に身を置き、誰とどう過ごしているか。

そんな些細なことですら、漏れ無く其の表現に反映される。

思想とか哲学とか宗教観とか習慣とか。

こうして言葉にすると堅苦しく聞こえるかも知れないけれど、

そういうことを互いに心から尊重し、尊敬し合えているのか。

そして自分だけで無く、家族であったり、大切な友であったりに自信を持って語れるか。

これは決して些細なことでなくて。

一が無ければ万が生まれないように、疎かにしてはいけない、とても尊く大切なこと。

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目指す場所があるのなら尚の事、

見なければならないことから目を逸らしている内は、歩むどころか何事も成し得ず、

今までの時間、これまで積み重ねたつもりのものが、全て無駄になってしまう。

そして痛みを感じる、苦しく思う、と謂うこと、その感覚が強ければ強い程、

其れは即ち、変えねばならない核心なのだと。


勿論、痛みや苦しみを知ったからと謂って、他者の其れを同様に理解出来るとは思わない。

だからこそ、穏やかで、優しく、強く、大らかで在りたい。

常にそう在り続けたいと、心から強く思う。
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2015.12.02

pieces

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写真の中の親父は、今の自分よりずっと歳下だけれども、親父は親父で。

最期の記憶の中に居る親父の年齢も、今の自分はとうに越えてしまっているけれど

やっぱり親父は親父なのだな。

当たり前と言えば当たり前のことなのだが、

遺影として毎日手を合わせている写真を眺めていて

時々不思議な氣分になる。



小学生の頃、飲み屋へ連れて行ってもらったことがある。

一度目はカウンターだけの、小さな飲み屋。

おでんの、じっとりと湿り氣のある白い湯氣と、煙草の、少し渇いた灰色の煙が立ち込める店内。

僕は勿論バヤリースのオレンジジュースで、親父が頼んでくれたものを静かに食べて。

親父は、分厚くて少しくすんだ硝子で出来たコップに、

熱そうなお酒を、下皿に溢れる程、なみなみに注いでもらい、

得意げにこちらを見てにやりと笑い、小皿に縁取られた塩を指先に取るとぺろっと舐め

美味しそうに、ぐいっと飲んだ。

僕は、オレンジジュースには当然似合わないその塩を、

自分の小さな手の人差し指の先にちょんと付け、少し眺めてから、ぺろりと舐めて、

ちょっとだけ、大人の氣分を味わった氣になった。


二度目は焼き鳥屋。

決して酒は強く無かった筈の親父だったけれど、

その店は時々一人で飲みに行っていたところらしく、

「お連れがいるとは珍しい。それも随分若い人とご一緒で。」

「ちょっとね、弟を連れてきたよ。」

なんてくだらない冗談を、少しだけ嬉しそうに大将と交わしていた。

親父のコップの中身は勿論、あの熱そうなお酒だった。

僕は三ツ矢サイダーを瓶でもらって、親父のそのコップと同じコップに注いでもらい、

前回より、少しだけいい気分で、お腹いっぱい焼き鳥を食べた。

カウンターに座った小学生の僕の目線とちょうど同じくらいの高さに炭火の台があって、

串に刺さった肉の油が、炭にジュッと落ちて火が上がる度、少し煙が目に滲みたけれど、

何だかそれも嬉しかった。


大人になったら、同じようにこうして並んで、

コップに溢れんばかりに注がれた熱いお酒を、時々塩をぺろりと舐めながら一緒に飲むんだなんて

当たり前のように思い描いていたけれど、

そんなささやかな夢も、その焼き鳥屋へ行った翌年

まるで氣の抜けきったビールの泡のように呆気無く消えた。

もう随分と昔の話。


それから随分と長いこと、寂しいとも悲しいとも思わなかったけれど、

いつしかあの頃の親父の歳になり、その歳を越え、時々酒を飲むようになり、

色褪せるどころか鮮明に、あの頃の事を思い出すようになった。



ところで、親父方もお袋方も、酒は弱い家系にあって、強い酒が好きな僕は一体誰に似たんだか。

でもなんかね。

酒を飲むって、ちょっとだけ特別な、そしてちょっとだけ大切なことだったりする。

僕にとっては。

だから何って訳じゃないんだけどね。
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