BLOG
about daily life , just about photograph. 日常のこと。つまり写真のこと。


2015.11.22

deep

paralyzed_deep_flyer_blog.jpg

2015年10月13日から31日にかけて、

原宿にあるCLUB PETUという場所で約2年半振りに写真展を開催した。

その2年半前の写真展の頃から既に調子は崩れ始めていたのだが、

積もり積もったストレスが噴出したのか、すっかり身体を壊してしまい

思うように活動し切れずに、という期間が近年ちょっと続いてしまっていた。

そんな中にあって、時折この会場のオーナーである方から励ましの言葉を頂いていたのだが、

9月に入るかどうかといった頃だろうか、

「GOくん、新しく出来たギャラリーで、10月の一ヶ月間、写真展をやってみたら?」

とお声掛けを頂いた。

正直出来るのかという不安もあったのだけれど、

ご挨拶がてら、今年の春に完成したばかりだという会場を見に伺って、

この空間がとても気に入ってしまった。

ただ10月の頭からは準備期間が短過ぎるかとも思い、少し時間を頂戴したいとお願いし、

10月13日、ちょうど新月の日でもあるし、何となく縁起も良いかなと

この日をスタートに、ということで開催させて頂くこととなった。

見せる為、というよりは、自身を再発見し取り戻す為といった感じの写真展として。

paralyzed_deep_exhibition_blog.jpg

ダンスにとっての写真とは

上演された、

という過去の事実を遺す為の記録物としてではなく、

上演後に生まれ、其処から始まる表現というものもあるのではないか (写真展ステートメントより抜粋)


踊りという、動きを写し取るには明らかに不向きな静止画しか遺せない写真というもので

踊りを撮るということは、果たしてどういう事なのか

多分これは一生掛けて向き合わないといけない問題なのだと思う。


"paralyzed deep" と題した今回の展示、敢えてその言葉の意味は語らずにおくが、

踊りの中に確かに存在する踊りと踊りの狭間にあるような浮遊した時間のようなもの、

若しくは長い時間眺めていないと見えてこないような深みにあるようなもの、

写真として静止しているにも関わらず動き出すのではないかというような感覚的なもの、

そんなことを考えながらセレクトした18点で構成してみた。

まぁ単に自宅にあった額の数が18点だったからという理由でもあるのだけれど、

後々、今回の会場構成にはぴったりの数だったのではと思った。


深い深いところにいたからこそ、見える微かな光。

様々な事が、必要不要に関わらず溢れまくり、色々な感覚が麻痺しているこの世界にあって、

本当の光を捉えるということ。

小事が大事と言う言葉もあるが

一が万の母であるように

真実の始まりはいつも気付くか気付かないかの小さな小さな粒子のようなものだから。

それを溢れ流し去ってしまうことなく、しっかり見つめ、優しく包み込み、大切に育むこと。


ただ見ているのか。

それとも見えているのか。

同じ眼であっても、その差はとてつもなく大きいのだ。


真実は眼に見えないという言葉もある。

例えば「優しさ」を形に現すことが出来たなら、どんなにか容易く想いを伝えられるだろう。

だけれど残念ながらそういった真実は眼に見えない。

顔に付いているだけの眼では。


急遽の開催で満足に告知も出来ず始まった写真展ではあったけれど、

思いの外、多くの方々にご覧頂くことが出来、本当に皆様に感謝という言葉以外に無い。

反面、のんびり開催のつもりが、会場へ度々出向くこととなり、

最後迄のペース配分について反省すべき点が多々となってしまったことは、今後の課題かな。


自身の作品を、こうして額装し、ちゃんと「写真」として一点一点並べているのを眺めながら、

あぁ、自分は写真が、そしてダンスが好きなのだなぁと、改めて実感した。

心の深いところから、じわっと滲み出るような感覚で。


そして、そんな「眼」には見えない感覚的なものを、僕は写真として撮りたいのかもしれない。

余計なことは何も問わず、何も聞かず

優しく手を差し伸べて、壊れないよう、その周りに纏っている空気ごと

ただ黙ってそっと包み込みたいだけなのかもしれない。

ふとそんなことを思った。
【Diaryの最新記事】
posted by GO at 00:00 | Diary