清里フォトアートミュージアム(KMoPA)のヤング・ポートフォリオというコンペに応募したのは、
札幌の広告写真家の専属アシスタントを始めて暫くした後のこと。
買ったばかりのカメラを持って一週間程、モンゴルへ旅をした時の写真を、
覚え立ての暗室作業で、バライタに焼いて5点応募した。
2点が永久保存作品としてKMoPAに購入されることとなり、
そのレセプションに参加する為に上京することを決めた時、
初めて東京に写真家の親戚がいることを知った。
アシスタントの求人広告を見る迄、写真を仕事にしようとは全く思っていなかった僕は、
恐らくそれ以前にそういう身内がいると何度か聞かされたことはあったのかも知れないのだけれど、
関心が無かったからか、頭に残らず流れ出てしまっていたのか、全然認識していなかった。
レセプションへの上京前、僕にとって従伯父にあたる畑野進さんの写真集を初めて見せてもらった。
1959年刊行の「登山者ー畑野進作品集」と1966年刊行の「山よお前は」という2冊。
日本山岳写真協会の理事長をしているという進さんが山岳写真家として活動していた若い頃、
当時の作品をまとめ、刊行した本で、
写真や文章は勿論、使用した機材についても書かれていて、とても興味深かった。
上京し、KMoPAでのレセプションを終え、いよいよ夜の便で帰るという日の朝、
泊まらせてもらっていた阿佐ヶ谷の友人宅から、進さんに思い切って電話をしてみた。
進さんも僕の母のことと、その母に子どもがいることは知ってはいただろうけれど、恐らくはその程度。
僕の名前はおろか、幾つくらいで何をやっているのかも知らなかったので、自己紹介からせねばならず
正直、最初の電話で、先ずどう挨拶しようかと、受話器片手にとても緊張したことを覚えている。
そんな僕の緊張をよそに、受話器の向こうの聲はとても勢いのあるもので、
「ともかく時間があるなら会いましょう、今から遊びに来てくださいよ」
と、ご自宅の最寄駅を教えてもらった。
「待合せで目立つよう、真っ赤なジーンズを履いて改札前に立っているから」
僕は急いで荷物をまとめると友人宅を後にして、その駅へと向かった。
駅へ着くと改札前に立つ進さんは本当に目立っていて、直に見つけることが出来た。
高齢ではあったけれど、脚長で背がとても高く、真っ赤なスキニーがよく似合っていた。
駅から10分も歩かずに着いたマンションの上層階にあるコンパクトな一室が進さんの部屋だった。
玄関を入って右手のダイニングキッチンスペースには大きな引き伸ばし機が一台置いてあり、
反対側のリビングスペースには本が詰まった大きな書棚。
しかし肝心なカメラや撮影機材らしきものは一台も無かった。
そんな僕の目線を察してか
「カメラは今は一台も無いんだよ。もうね、この人生で充分撮りきったからね。」
撮り切ったとはどういうことだろうと、その時の僕には今一つピンとこなかった。
GHQの写真室で働いていた頃の話から、山岳写真の話、そして登山の話。
1955年創刊のモーターマガジンでは、著名人とその愛車のコーナーの写真を担当していたと云う話。
晩年、中国へ渡り、博物館の所蔵品で、国外へ持ち出し禁止の美術品の図録を制作する為に
8×10のカメラで撮影していた時の話などは、当時の撮影風景を記録した写真も併せて丁寧に
大きな聲で豪快に且つ軽快な口調で色々と話してくれた。
一息ついたところで、僕の写真が掲載された清里フォトアートミュージアムの図録を見せると
いい写真はね、片目で見るといいんだよ、被写体と空間とが立体的に見えてくるからね、と
片目を瞑って僕の写真を眺めながら、あぁ、これは良い写真だと、にこにこしながら眺めていた。
両方の眼で見ているものを、一眼で撮るだろう、
だから写真を見る時に、片目を瞑ってその一眼と同じにしてあげるといいんだよと。
正直その原理は今でもわかるようなわからないような感じなのだけれど、
実際、片目だと立体的に見えるので、以来僕も、自分の写真をチェックする時、
そんな風に見る癖がついてしまった。
いつの間にかあっという間に時間は過ぎてそろそろ帰る段になった頃、
今日の記念に進さんのポートレートを撮らせてくれませんかとお願いし、
当時使っていた二眼レフ、 AIRESのAUTOMATを鞄から取り出した。
ISO400のフィルムで絞りはf4、シャッターは1/60秒。
しっかりピントを合わせてシャッターを2回きった。
そしていつかまた会いに伺いますと挨拶をして、僕は羽田へと向うことにした。
別れ際の進さんの表情が、それまで過ごしていた時間に見た其れとはちょっと違っていて、
果たして僕はまたこの人に会うことが出来るのだろうかと、何故だかその時ふと思った。
後にその写真をプリントして先日の御礼の手紙と併せて送ると、
数日後、いい写真をありがとうと豪快な筆跡で書かれたモノクロの山の写真の葉書が一枚届いた。
それから1、2年後に僕は写真の仕事で下北沢へ引っ越してきたのだけれど、
会おうと思えば直にでも会いに行けるとても近い距離にいたにも関わらず、
日々の雑多な色々に追われ、
もう少し結果を出してから、と思っている間に他界されてしまい、
二度と会うことが叶わなくなってしまったことは、
自身が未熟だったとは謂え、悔やんでも悔やみ切れない。
逢える人は逢えるうちに。
先延ばしにすることなく、早いうちに逢えるだけ逢っておくこと。
そして先に居なくなるのは、例えば相手が先とは限らない。
決して悲観的な意味ではなくて、何が起こるかわからないのが、人生なのだから。
未熟な今に根差した氣持ちを柱に事を考えるのではなく、先ずは動くこと。
正しい行動の後には、ちゃんと氣持ちはついてくるのだ。
進さんのことを想い出すと、いつもそんなことを思い、そして考える。
反面、あの時に思い切って会いに行き、
一枚でもこうして写真を残せたこと、それはそれで大きいのだとも思う。
進さんに教えて貰ったように片目を瞑って写真に目線を合わせると、
ふとあの時の時間と空間がよみがえる。
多分、そういったことも写真の良さであり、力なのだと思う。
出来なかったことを思うのか、出来たことを思うのか、
どちらをどう捉えるかにも依るのだろうけれど、
撮ったものがこうして一枚でも此処に在る、と謂うこと、少なくとも其れは大事なことなのだと思う。
ま、この程度のことで色々考えてしまっているようでは、
この人生ではもう撮り切ったから、カメラに未練は無い、という進さんの域に達するのに、
まだまだ時間がかかりそうだ。
2016.01.26
neat
posted by GO at 00:00
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